転移感情について

たぶん、わたしは私の中に見たくないものがたくさんありすぎるから、転移っていう現象の中に浸り込んで、その関係性に執着することだけで生きてしまうんだろうなと思う。その人とのつながりの中に、その人を通して思い出すことの中に意味があるということにして、その底にある怖いものを見ないようにしてるんだろう。

底にある怖いもの。

それは、男っていう『わからない』いきもの。

それは、女っていう『わからない』いきもの。

それをわかりたくなくて、感じたくなくて、自分が本当に何を求めているものなのかを分かりたくなくて、表面に浮かび上がって見えている関係性に笑ったり怒ったり怖がってみるんだと思う。

今は、自分がなにを求めて望んでいるのかはわからないけど、何を恐れて嫌がっているのかは分かるようになってきたから、進歩。

 

ずっと、主治医の先生に対する転移に困ってる。

前の先生のところでは、父親転移がものすごく強力で、先生は完璧なお父さんを通り越して神様みたいなところまで理想化されてしまっていたから、今度はそうならないようにしたいですって予め宣言しておいたのに、この始末。

“お父さん的”になってくださっていた先生は、わたしの一番怯えていた時期を守って安心させて、指針を示そうとしていてくださったんだって思ってる。うちの本当のお父さんと全く同じようなことを言ってる…と思って苦手意識もつこともあった。

わたしの父は、事故が起きた当時、友人を亡くして泣き続けるわたしに向かって『テレビが見れないからうるさい黙れ!そんなことくらいで泣くようなやつは幼稚園以下だ!』って言っちゃうような人で、言われたその瞬間に世界がひんやり遠のいて、ヒッって声が出なくなったのを覚えてる。涙が引っ込むという表現も、あれは表現上のことだけじゃなくて、きっと本当に涙くんがうにょんって目の中に引っ込むんだって思うくらい、ピタッと全部が止まった。

それからあと、なぜかはわからないけれど無視され続け、朝顔を合わせて「おはよう」って言ってるのに目も合わなければ何も言わない、スーッと通り過ぎるたびに自分が透明人間になっていく感じを毎日感じていた。

 

そのせいかどうか分からないんだけど、わたしが好きになる男の人は、大抵この『ほどよい無視』がある人って決まってる。

すごくこっちを見てくれるような人は、なんとなく勝手ながら、自分の中で格下みたいなポジションに入れられてしまう。わたしのことがあまりにも眼中にない雰囲気の人、というのは先ず好きにもならないんだけど、優しくしてくれてなおかつ軽く無視されそうな感じってなると、だいたいドキドキして尊敬して憧れの対象になってしまう。

 

父親転移が激しかった先生は、この感じが完璧って思えてました。

多分わたしは、ずっと寂しくて理想のお父さん探しをしてるんだなって薄々思ってた。

だから、先生っていうお父さん役が依存させてくださるおかげで、パニックを起こして混乱だらけの世界でも、とりあえず病院に行くことで秩序を取り戻して自分がどこへ向かって努力すればいいのか、ていうのが見えていたんだと思う。

逆にいうと、そんなふうにずぶずぶに依存して幻想の中から世界を見ている期間が長かったから、今のわたしは自分が何を望むのかよくわからない。

ベンゾジアゼピンで頭をぼんやりさせていたおかげで、いろんな恐怖刺激をぼんやりさせ、現実的な恐怖に負けることなく生き延びてるんだと思うけど、それと同じように先生と母っていう“両親”にどっぷり浸かることで、現実に対して自立して向き合うっていう、自分の頭で考えて対処するっていうことを回避してしまっていた。

 

ベンゾジアゼピンを飲むことをやめたら、今まで眠りながら生きていたのか!って思うくらいに頭がはっきり動くようになった。やりたくてもできなかった(ぼんやりして眠くて面倒で、すぐ疲れてウヤムヤにしてた)勉強もできるようになって、ライティングをしても頭がどんどん動くことに最初の頃は驚いてた。

…今は、今度は過覚醒とフラッシュバックに悩まされてしまうけど。

 

カウンセリングを受けるようになって、だんだんと先生への転移と依存と家族っていう依存の中でコントロールされて弱いものになっていた自分の自我が、“わたしもわたしのことを自分で決められる”と思えるようになってきて、事件後から10年近くもお世話になった主治医のもとを卒業した。

より正確に言うなら、そのお父さん先生の言われた言葉が理不尽だって感じたわたしが、わたしの感情と感覚を信じて病院を変える決意をした。それまでのわたしだったら、先生がそんなことを言っても仕方ない、なぜなら確かに自分が悪いから…と思ってしまっていただろう。罪悪感は絆になるから、その人とのつながりを失うことの怖さから、自分が悪いっていう信念をいくらでも作ってしまう。そうして支配関係から抜け出せなくなる。

先生はわたしに対して悪意ある支配をしていたわけではまったくない。けど、お医者さんと患者っていう立場に、父親と娘っていう影絵が重なって、それが“わたしのお父さん”と“わたし”っていう具体的な状況を先生のもとで再現してしまっていた。先生はほんとうに優しい熱心な先生だったから、きっとわたしを助けようとするあまりに、わたしの罪悪感につられてお父さん役を熱心に演じてしまってわたしを縛り付けてしまったんだと思う。

それを考えてみると、父のわたしに対する感情が過去にどんなものだったのかっていうのも、なんとなくだけど分かる気がして…

 

そして、今。今度は今の先生に対して微妙な恋愛感情のようなものを感じる転移をしてしまっている。恋愛というか、性欲。

本当に本当に困ってしまった。

最初のうちは、優しそうだなぁ、ちょっと見た目(ヘアスタイル)が独特で面白い雰囲気の先生だなぁ、くらいにしか感じてなかった。ほんとに。

お父さん先生のところでの苦い体験を話して、そのひとつまえに起きていた大事な出来事についても話して、そういうことを踏まえて転移で困るのが嫌なんですって伝えて慎重にいこうとしてた。

でもきっと、その時のわたしは転移っていうのを中途半端な理解でしか分かってなかったんだなぁって恥ずかしく思う。

たぶん、専門的な精神科のお医者さんのことは全然知らないけど、きっと転移っていうのはどの人間関係の中でも普通に起きてることで、とくに精神科治療では(あるかないか分からないような漠然とした)“こころ”そのものを扱う場だから、その転移っていう現象そのものが大事なんだって。(...ていうのを、かき集めた論文やら本やらのいくつかで読んで考えました。)お父さん先生のもとで起きていた父親転移っていうのは、わたしに必要なものだったから先生が意図して起こしてくださっていたものでもあったんだなぁって、今あらためてここに書いて整理しながらも思う。

そして。

あれよあれよといううちに、警戒しつつもその主治医には、今度は“嫌い!”っていう悪い感情が出てきました。最初は、だんだんと優しそうだなぁ…から、本当に優しい先生でよかったなぁ…っていう思いに変わり、ちょっと心開いてきたかな?ってタイミングで、今度はリストカットを起こして混乱し、怯えきって状況を報告している最中の先生の様子がわたしにとっては発端。

そして、その先生の言葉や様子から生まれた“きらい!”っていう感情についても先生に打ち明けて、話し合うことができた安堵感のあとに出てきた感情が、今のもやもや…

なんか、少女漫画である“あんたなんか大っきらい!”ってやったあとに、“でも〇〇なところもあるよね”とかっていいところを自分で発見し始めて、ちょっとした意見の相違ですっごい大喧嘩したあとに誤解ってわかって、そのときに見せられた本当の姿、みたいなのがあったあとで“本当は好きだったんだ!”みたいな流れが浮かんで自分の中で失笑気味…

境界性パーソナリティ障害・外傷育ちにつきものの、理想化とこき下ろしをまんまと起こしてた。たぶん、その自傷も嫌いって思いが止まらないことも、さらにそれを打ち明けたことも含めて先生に対する試し行動なんだろうと思うし、もっといったら最初っから恋愛っぽい転移をしてたんだなぁと思う。

そして、そのことを考え始めると必ず浮かんでくるのが、小学生の頃に関係のあった学校の先生。そして、兄。

どちらも性体験の記憶でわたしにとって色んな意味で深く影響している人たち。

先生に対する言葉で言い表しにくい感情が起きてからというもの、というか、今の治療が始まってからというもの、もともとイヤイヤやってた在宅ワークが本当に苦痛になってきた。吐き気でなにもできなくなったり、記憶が飛んだり。前からあった症状だったけど、その仕事の中で嫌だと思うたびに先生の優しいにっこり顔がチラついてしまう。

 

性に関するトラウマが多い中で、ずっとそれに振り回されながら自分のことを気持ち悪い女って言ってきたけど、きっとその言葉のなかに色んな感情を隠してるんだって気づいてる。わたしは気持ち悪い女なんですって言いながら、それでも許してくださいとか思ってるのかなって。それこそが、気持ち悪いなって堂々巡りする。

そして、先生のこと嫌いですっていうのも好きですってもし言うのだとしても、その好きとか嫌いは純粋な意味での“好き”だったり“嫌い”だったりでは、どうせないんだ。

先生の前で裸にならなきゃいけない気がする…ていう、実はこんな感覚すら芽生えてしまって消えてくれなくて、キモチワルくて怖い。

怖いんだけど、その怖いのをどうにかしようと思ったら、想像の中で先生に悪い人になってもらうしかなくて…。そして本当に悪い人なのかもと思ってしまう。

きっとこれは、性暴力被害を受けたっていう感覚を繰り返してるんだとおもう。

何度も何度も再現して、実際に現実のうえでも再現するし、頭の中の想像の上でも男性っていうものとの関係の中で再現を繰り返して、自分がおかしくないっていう証明を求めてるんだと思う。

男=わたしを傷つける存在、わたしのわたしである秘密を暴く存在

わたし=女の体をもつ存在、男の欲望する器を所有するもの

これを踏まえて

先生=憧れる存在、立派な人、すごいって思う人、お父さん、兄

わたし=比較しての劣等感、汚れた存在である劣等感、女の体の所有者

ていう感覚があるから、先生っていう怖くて魅力的な存在のまえにいる自分の惨めさを、女の体を所有するものとして、先生を女の体を欲望する男っていうところに落としてしまうことでどうにかしようとしてる…

そして、信じたいのに、いつか裏切られるっていう怖さを秘めた男性っていう存在だから、だったらいっそのことわたしが女という秘密を自分から暴かれてやることで、このジレンマから救われたいって思ってるのかな、なんて思う。

 

これまで、性的にいろいろとこんがらがって、男性と自分が望んでもいないのにセックスをしたり、みたいなことが繰り返されていた。望んでもいないっていうのは複雑なところで、解離してるワタシは望んでたっぽいんだけど、そういうときのわたしの記憶はだいたい二重三重に複数あって、どれが本当の気持ちだったのか分からない。(しかも今のわたしは過去の自分がそういうことをしてたっていうことが自分のこととして信じられない。切り離されている。)

そういう出来事は、反復強迫とかトラウマの再演って言われているようで、きっと今回の先生に対して起きている転移の現象がいろんな男性の前で起きてたんじゃないかなって思う。今の、先生に対しての感情よりももっと汚い感情…

ずっとこうやって、自分の体をおとりにしながら男っていうものを眺めて、罰して正当化きたんだと思う。罰しているのが男っていう対象なのか、それとも自分自身なのか、はたまた別のものなのか分からないけど。

好き・嫌いの底にあるのは、怒りとか恨みとか恐れで、瞬間的に怖いと感じる気持ちを覆い隠すようにして“好きor嫌い”があらわれ、そこに執着してしまう。なぜなら、その覆いを外して見るものは求められない惨めな自分で、欲しかったものをもらえなかった存在だから。繰り返し繰り返し、欲望されてたはずなんだっていう仮の恐怖を思い出して確認して、『ほらね、求められてた』って傷つけられることで確認してるんだと思う。

 

 

だからわたしは自分の女っていうのがすごく気持ち悪くて怖いし、男っていうのがすごく分からなくて怖い。きっと寂しいんだと思う。

 

…こうやって勉強しちゃってること自体、まんまと先生っていう存在に憧れて同一化しようとしちゃってるってことなんだと書きながら気づいて…