考えがループしてしまう

精神分析とか心理分析の本を読み漁って、中途半端な理解で半端な知識をたくさんつけてしまっている。

抑圧だとか、解離だとか、同一化だとか理想化だとか。

投影性同一視だとか。

そのせいなのか、なんなのか、わたしは非常に強い自己愛の持ち主なので、自分のことに対する執着が捨てられなくて、自分が自己愛的なキモチワルい人間なのだと感じる自己嫌悪が消えなくて(自己嫌悪もまた自己愛的)…

その罪悪感や嫌悪感の無限ループに陥って、にっちもさっちもいかなくなってしまうことがよくある。

 

多くはトラウマに関して考えているとき。んなこと考えなくてもいいのに。

マインドフルネスも自分で自力で習得しようとしてみた。こんなに考え続けてしまうのはADHDのせいもあるって先生に教わったから。そして、そのADHDの頭の多動やPTSDの過集中・過覚醒を鎮めるのにはマインドフルネスがいいよって…これは先生とわたしの意見が一致した瞬間だった。(めっちゃ嬉しかった)

でも、自分でやるには危険なんだってさ。

瞑想というのは、自分で自力でやると危ないのだそう。ちゃんとコントローラー/ナビゲーターとなる専門家が自我の端っこみたいなのを握ってくれてないとダメになる、みたいなことかな。それにきっと、わたしは瞑想に入っていけない。目をつむることに対するトラウマのブロックが強すぎて眠ることすら怖いくらいだから。

何度か、目を閉じてやる瞑想にチャレンジしたことがあるのだけど、ちゃんと経験者に教わってチャレンジしたこともあるし、ヨガ教室の先生に少しだけ教わったこともあるんだけど、どれも未遂に終わった。目を閉じて呼吸することがまず無理で、ほんの少しの時間ですぐに体がぞわぞわして息ができなくなってしまう。

 

だから結局、セルフカウンセリング的な意味合いも込めて、本を読むってところに落ち着いてる。河合隼雄先生のユング心理学の本をいくつか読むところから始まって、フロイト精神分析アドラー心理学、小此木先生の対象喪失フロイトの生き様に惚れた)、メラニー・クライン他の対象関係論や色々、愛着理論、転移に関する論文いろいろ、ラカン精神分析についての本、行動分析学の本、認知行動療法の本いろいろ、論文いっぱい、脳科学のこと、お薬のこと…etc

で、結局、これらを読んで自分なりに自分を理解しようとして、ノートに書き出して整理して、だいぶカウンセリング効果はあったのだと思う。自分史的な分析もやったし。

でも。

でも、どんどんこんがらがってる。

たとえばラカンフロイトの『過去はもう無い』っていう言葉。わたしたちは、もはや永遠に失われた〈自分がこどもだった頃〉っていうマボロシの時間の部分に『子供時代の記憶』っていう象徴を置いておくことで、自分が今ここにいるってことを理解するための土台にしてる、て話。時間は常に前向きに流れていて、それは流れる川のようなもので、ただ高いところから低いところへしか流れていかなくて。その川に浮かぶ葉っぱは、もう二度と元あった場所にあった葉っぱになることはない。この葉っぱがどんな葉っぱか?っていうクエスチョンに対して、象徴として『あの時あの木にくっついてた葉っぱ』っていうのを置いておくことで説明とするしかない。

ていう…こういうの、読んでると、わたしのトラウマっていうのも結局自分が自分であるために、とりあえずってことで置いている象徴でしかないのかって。

真実がどうであったかは、その場にいた人間の証言を元にするしかないし、それだって人間の主観なんていろいろだから、本当の本当の本当のところはDNA分析とかしたとしても、完全な真実っていうのは多分永遠に失われてる。だって時間は戻らないから、そのときの現実の瞬間そのものはもはや無いから。

でも、その象徴を置くにいたった『わたし』が重要で、『今のわたし』は〈あのときのトラウマ〉の影響を受けているわたしで。でもでも、さらにその形の象徴をその場所に置いた理由っていうのが実はあるはずで。だって、そうでなければ、他にも怖いことや嫌なことはたくさんあったのに、特にその出来事に怖がってるのはなぜ?ってことになるからで…

それらを突き詰めていくと、つまり、わたしが何を欲しくて何を求めて求められて、求められなかったのか、ていうのは…。お父さんに求められて求められなかった自分ってところに行き着くのかなって。

性的暴行とか性暴力被害っていうのは、裏返して見てみると、ある意味で〈求められた記憶〉だとも言えるんだと思う。対象となった記憶だから。わたしは誰からも求められない…って自分のことを思ってて、そんなはずはない・わたしは求められている、と思おうとして執着していて、わたしは求められるワタシでなければならない、ていう思い込みがさらにあって。

そして、それは〈わたしが〉求められたわけでもなくて、わたしっていう象徴としてのわたしの性っていう。で、だから道具としてのわたしになりたい…もう道具でいい。みたいなところに落ちることがよくある。

もう、こんがらがり過ぎて収集つかなくなってるんじゃ…って思う。悪い自分・恥としての自分を誰かに正してもらいたいのか、なんで治療を受けてるのか、よくわからない。別にわたし病気じゃなくて、こうやって悪い自己愛的な自分の性格を正当化するために色々とかわいそうがってるだけで、過去は過去として受け入れてるんだから、どこも悪くないよ!って本気で思ってる。そしてこれは、先生たちにわりと言ってる。

ここまで長々と自分の思考について説明したうえで言うんじゃないから、やっぱり狂ってるって思われるのかな。わたし病気じゃないと思うんです、だからなんのために病院きてるのかわかりません。でも、なんか来ないといけないんですよね。ごめんなさい、病人じゃないのに時間使わせてごめんなさい…と、こんな感じに、結構毎回言ってる。

なんで病院に来てるのか本気でわからなくなるから、まずそこから許してもらうところから現状報告みたいなのが始まったり。なんで悪いのかわからない・何に困ってるのかわからないっていうのも立派な悩み事ですよって許してもらわないと始まらない。

もう、わたしの自分自身との人間関係からしてこじらせ尽くしてる。

わたしはわたしの、〈わたしが悪いんです、ごめんなさい〉っていうのを手放す必要があるらしい。この罪悪感っていうのが常につきまとっているようで、とってもナチュラルに誰に対しても、自分に対してさえ、ある。わたしが悪いから許してください・いい子になりますからっていう希望を持つことで、相手と関係を保とうとしてしまっている。逆に、わたしが悪いってことじゃなくなってしまうと、相手とつながることができないって思い込んでるらしい。これは、昔々の2歳とか3歳あたりで自分が親から刷り込まれ続けているパターン。

サディストがマゾヒストに、『なに勝手に気持ちよくなってるんだ!ごめんなさいって言え!』ってセリフをよくやるんだけど、マゾ役の人はこれを言われることで快感を得るし、実際にごめんなさいごめんなさいって悦びながら言う。わざわざ『悪いわたしを叱ってください』とか言う。これも状況として理屈として似たようなもんかなって思ってる。ていうか、その辛かった時代の役割をそれぞれが担うことで再現して、今はここに愛があるって思おうとして癒やされようとしてるんだろうな、と思う。(たぶん実際はもっと面倒な感じで、愛はないって言っちゃってて互いに相手に近づけない距離感でいるんだと思う。だからSorMって役割をツールとして使う。諦めきって遠ざかりモードっていうか。)

サディストは〈怖い親〉に同一化した側。マゾヒストの中に幼い自分自身を見出して、過去の親そのものになろうとする。マゾヒストは〈怖い親〉に対する〈従順なワタシ〉の方に同一化して『ごめんなさい・いい子になるから(仮の約束・希望)』っていう鍵を使って繋がろうとする。今現在の怖い親は昔のそれとは違う・この相手は永遠に自分を手放すことのない理想形だ、ていうのをお互いに求めようとするんだと思う。そしてそれは永遠に叶わないから、マゾもサドもくっついては別れて代用品を探し続けるんだ…。

 

ループしてた思考から抜け出して脇道にそれてしまった。

トラウマについて自分が悪い説を考え始めるとキリがないところまでいってしまう。

これはそういうことを書こうとしてたのに…。

性被害にこだわる自分が悪いんだ、本当は自分はお父さん探ししてる男好きの気持ち悪い女で、しかも実際はちっともモテないって気にしてて、その気にしてるのが症状としてトラウマ反応って形で出ている。つまり性的なトラウマ持ちの自分キモい…先生ごめんなさい、生きててごめんなさい。ていう…。しかもすがられる先生が可哀想、最悪だ、もう何も考えたくない、何もかも気持ち悪くて恥ずかしい、と思ってる自分が悪くて恥ずかしい、という自己愛が恥部であるから…さらにコレを認めたくないがために、トラウマにこだわるのは現状について現実的な悩みを持つことを拒否してるからで、、、うんぬんかんぬん…って続いていく。てなって、消えたくなる。完璧な理想形をあると信じて据え置いて、それが正しいのに、あまりにもかけ離れていることが許せなくて、正しい自分になれない自分を罰する自分を公開して罰する…誰も見てないのに、という…。

いつもこんな、コレ以上にもっと広がってる思考の中で、なんで人はものを考えるのか?みたいな、現実とは何か?みたいなとこまで突っ走った挙げ句に、こんなことしか考えられない自分は生きてちゃいけない、死ななきゃいけない、につながってるんだと思う。死なないです、わかってます、ごめんなさい。

存在する意味がほしい。たぶん、今はこれだけなんだ。

 

解離性障害の人格モードについての話

今日は昨日飲んだセロクエルの影響なのか、ずっとずっと眠くて、本当に眠くて、どうやっても起きられない1日でした。もう1日終わって(日付も変わって)夜になって今やっと頭が回ってきた感じ…。

セロクエル飲まないと過覚醒がひどくて静まらないし、飲んだら飲んだで今度は鎮静しすぎて頭も体も動かないしっていう…

 

ブログを書こうと決めてみてやっぱり気づいたのですが、わたしの障害は人格のモードを一定に保っておけないことにあります。

このブログの文章を書いている時でさえ、考えていること・覚えていることが人格ごとに違っているらしく、どうしてもある特定の記憶にアクセスするたびに自分自身が変わってしまわないと書くことができない現象があることに気づきました。人と話すときも、自分の(自分の中の怯えてる部分の)〝話したくないなぁ、この話嫌だなぁ〟っていう気持ちに気づかずに特定の記憶エピソードについて話していると、だんだん体や口が痺れてくる感覚や、心臓のドキドキする感覚を感じ始め、それでも話し続けた結果、赤ちゃんモード(急に怯えたり、甘えてイヤイヤって始める)が出てきてしまう…というようなことがたまに起こります。

わたし(冷静に現実の自分をコントロールしている主人格モード)が自分のウィークポイントについて冷静に分かっていて、アクセスしたくない部分をカバーして思い出している分にはいいのですが(例:あの事故は酷いものだったようだ…あんまり覚えてないけどね。みたいな。)、自分について分かってもらおうとして何もかも話してしまう時があって、知らず知らずのうちに奥にある自分にとって嫌な部分にまで触れてしまうことがあるようです。

また、冷静なわたしとして普段から意識の前面に出されているわたしは思い出せないことや忘れていることが多く、別モードのわたしを持ってくることで思い出す記憶がいくつもあります。そのモードの切り替わるごとの記憶を保てず完全にそれぞれが一人の人のようにして存在しているのが解離性同一性障害の人だとすると、わたしはそれぞれの記憶を部分的に共有しながら、ほとんどのそれを自分として認識しています。ただ、そのモードの切り替わりの元であるトラウマ感情に触れている時、今の自分が自分だと分からなくなったり、どこにいるのか何をしているのか分からない解離が起こります。

 

 

以前は、この人格モードというのは昔の記憶を持ち抱えたまま成長した、自分の中にいる第2第3の自分、みたいな理解の仕方をしていたのですが、最近はどうも違うなと思っています。あくまでも、その時のその状況によって作り出されたモードが存在しているだけで、それぞれが記憶のどこかの時点で“人格さん”として誕生し固定されて独自の成長を遂げた、みたいなことではないんじゃないかと…。わたしの場合は、です。

わたしの状態について説明してくださる主治医の先生のお話や、信頼しているセラピストさんのお話によると、解離性障害という病気の状態と解離性同一性障害というのは、いわゆるグレイスケールのように、帯のように、スペクトラム上に通じているのだそうです。中でも人格モードというのは健康な人も普通に持っているもので、問題なのはそのモードの使い分け・切り替えを自由に行うことができるかどうか、今の自分がどういう場面にいて、どの場面向けの自分としているのか(なに向けのどれモードなのか)というのを自分で分かっていて使い分けできるかどうか、という点にあるそうです。

その中でもわたしは、解離性同一性障害に近く寄っているほうの解離性障害、という感じな理解のされ方をしているそうです。

 

ユング心理学の言葉でいうと、人はみんなペルソナという仮面をいくつも持ち、自分のいる場面や状況にあわせて使い分けて生きています。

たとえば、ある女性は家族を持っていて、その家族のメンバーの中で『お母さん』という役割人格を持っています。また、その女性の生まれ育った家族の中では『娘』であり、さらに彼女の個人的な趣味であるタロット占いをやっていると、彼女は厳かな気分になって『占い師』の顔や口調を使い、そのムードの中で声も自然に低くなります。しかし、彼女の職場で一緒に働く人たちは、彼女の『占い師』モードの様子を知らないし、『娘』モードの様子も知る機会がほとんどないでしょう。それは、彼女がその職場において『会社員のわたし』としてのペルソナを被って生きているからです。

わたしの中にも、こういう社会的な自分としてのペルソナはあるし、これを使い分けることは普通にできています。でも、心の中で葛藤が起きたとき、その一つのまとまりとしての『今のわたし』が揺らいでしまい、『わたしを守るためのわたし』が勝手に前面に出てきてしまうことで、ある特定の場所で一定のわたしを保っていられない、という障害が起きてしまいます。

例えば、わたしは病院に通っていて、先生の前では『患者のみるくさん』として存在します。このみるくさんは、先生を“信頼できる優しいお医者さん”として見て、自分の生活してきた状況について客観的な視点も交えて主観的に話します。先生の言われていることについて、わりと素直にうなずいたり、考えたりしながら対話は流れていき、その中でトラウマを刺激するような言葉に触れてしまうとします。すると、そのトラウマについて頭が反射的に考え始めると、体がぞわぞわして解離が起き始め、それも突っ切って記憶を語り続けると、ある地点で限界を迎え、『赤ちゃんモード』のわたしが出現してしまうのです。

赤ちゃんのような気分になってしまった自分は、ただ怯えた様子をあらわし、もう話したくない…のような、自分の中で嫌だと思っている気持ちを伝えようとします。

『患者のみるくさん』のままで「この話はしたくないんです、この話をするのは苦しいんです」と伝えられたらいいのですが、『患者のみるくさんモード』のわたしは“これは話さないといけない”と強く信じています。でも、心の奥底に“嫌だなぁ…思い出すなぁ、怖いなぁ”という感覚がたしかに存在するため(患者のみるくさんはこれに気づいていない)、嫌だと思っている部分であるわたしを『赤ちゃん』という形にして表現してしまうんだと思います。実際、赤ちゃんでないと言えないこと・アクセスできない記憶があるように感じているんだと考えています。

それが、わたしがわたしを解離させているということで、退行したわたしの部分が感じていることと、表向きの顔を担っているわたしの部分が分かれてしまっています。

他の解離性同一性障害についての知識はないのですが、わたしに限って理解していることでいえば、わたしは条件反射的に自分のモードを無意識的にも意識的にも切り替えて生きています。おそらくですが、『赤ちゃんモード』の人格モードはわたしが無意識のうちにお医者さん・セラピスト(とくに男性セラピスト)に向かい合うために作ってしまった人格モードなんだと思います。そのモードが意識の前面に出てきてくれることで、わたしはわたしとして怖いと思う状況の中でも嫌だと思うことに触れることができ、伝えることができるからです。『患者のみるくさん』が自分の気持ちをもっと許容して、世界に対しても信頼して、“「嫌だ」と思ってもいいし伝えてもいいんだ”と分かることができたら、この条件反射も減っていくのかなぁと思うのですが…。もしくは、トラウマ記憶に触れるときの触れ方をもう少し理解できるようになって、嫌な気持ちを抱えながらも怖くないトラウマへの触り方、みたいなのができるようになれば、『赤ちゃん』を使わなくてもよくなるかな、と思っています。

そしておそらくなのですが、この『赤ちゃんモード』に切り替わるとき、『赤ちゃん』のわたしが見ている“先生”は、先生としての性質は持ちながらも、おそらく“別の存在”として「わたし」に認識されています。もはや“信頼できる優しいお医者さん”ではなくなっているということです。これは対象関係論という理論を勉強しているときに、フェアバーンという人の対象関係論と愛着トラウマの理論について書かれた論文を読んでいたときに気がつきました。わたしの見ている世界の見え方は、特定の条件ごとにトラウマ記憶の影響で変わってしまう癖をもっているから、ぱっと見てただひとつの変わりのない世界だとしても、わたしという人間の器を通した目が見る世界は、コロコロとわたしの思いを通して変化してしまうのです。

だから、わたしが解離を起こしてしまうのはいつも突然で、トラウマ記憶にふれるたびに、今いる世界の現実に過去の感情が呼び起こされて、今自分がどこに属していて誰としているのか分からない、というようなことが起きるのだと思います。怖いときの怖い先生に向けて赤ちゃんモードが出てきてしまうのは、ある意味ではその状況になんとか適応した結果、ということなのかなぁ…。

『赤ちゃんモード』は『患者のみるくさん』や他の人格モードのわたしにとって、人前に出して恥ずかしいと感じるわたしであり、しかし、おそらく赤ちゃんのわたし自身は別のいろいろな思惑をしっかり分かっていて出てきてるので、この前も赤ちゃんのわたしとして他の人格モードから自分が怒られていて怖い、というようなことを先生に伝えていました。

だいたい切り替わってしまうと、切り替わる直前の出来事や切り替わっている最中の出来事を忘れてしまっているんですが、赤ちゃんの中での出来事は割としっかり覚えていたりします(これも赤ちゃんが赤ちゃんたる所以だと思ってる…だから自分=気持ち悪い)。

 

わたしの人格モードのバラバラについての問題も、先生のお話では

「そりゃ、無理にがっちゃんってさせたら怖いよ。適応的な人格が育っていって、役割として必要のない部分、ということになったら、深く眠っていく…という形になるのを目指してもいいかもね」

という感じの言葉だったのですが、その時はその時なりの理解しかできていなかったけれど、今はこの言葉がよく分かるように思います。怖い記憶に対する反応の仕方が自分の中で様々である、というのも、わたしが分割されている原因で、わたしとしてわたしを理解している理解の仕方(されかた)が様々、みたいなことでもあって。それら、相容れない自分を全部許したり我慢したりしてガッチャンってくっつけちゃうのは、やっぱり乱暴なことで。誰だって見たくない自分があるのは当然です。

忘れたい記憶は、ただ静かに「悲しい」や「悔しい」っていう哀悼の気持ちを残して、過去として眠らせてしまうのが、やさしい方法かなぁと思います。それが自然だと思う。過去は、もう無いのだし。今はまだ、その過去のお墓が遠いお墓になってなくて、目の前にあって離れられないっていう状態なんだと思う。そして、その悲しさを一人では抱えきれなくて、誰彼構わず泣き縋っていたのが少し前のわたし。最近は、泣いてもいい場所と泣かなくてもいい場所の区別が付きかけてきている、という感じなんだと思います。

触れ方が分からなくて怖いものになっている過去のお墓について、何度も話して受け止めてもらって、色んな角度からの見え方が分かってきたら、遠く離れていけるんだと思う。今はまだ悲しくて、そのお墓の前を動けなくなってる。

解離はきっと、今にも溢れ出しそうな怖さや悲しさを、誰にも頼っちゃいけない世界観の中で必死に抑え込んでいた結果、誰にも頼れないから自分を弱く弱くして見せるしか自分を守る方法がなくなって、でも頼り方が分からなくて、仕方なく自分の大事な機能を停止させたように見せかけて助けてって言ってる、そういうイメージです。

頼る人を何人も見つけることができているわたしは、多分、もうすぐ近くまで出口が見えている…と、信じています。

 

最近も、親しい友人と電話している最中に人格モードの切り替わりが激しく起こり、自分でもその全体の会話自体がぼんやりした霧の中のような感覚で覚えています。

8月と9月は苦手な月、ていうのがやっぱりあるのかな。

一昨日と昨日と、ずっとフラッシュバックの激しい中にいて、こんなブログを書き始めてしまったからだという自覚もあるのですが、むしろ勝手に思い出すのが辛いから過覚醒に乗っかって書いてる、という部分もあり…。

セロクエルで眠り続けていたのも、そういうところからの逃避としての意味があるのかなという自己理解をしています。

 

人格モードについての考察、もっと書きたかったけど…とりあえず、ここまで。

転移感情について

たぶん、わたしは私の中に見たくないものがたくさんありすぎるから、転移っていう現象の中に浸り込んで、その関係性に執着することだけで生きてしまうんだろうなと思う。その人とのつながりの中に、その人を通して思い出すことの中に意味があるということにして、その底にある怖いものを見ないようにしてるんだろう。

底にある怖いもの。

それは、男っていう『わからない』いきもの。

それは、女っていう『わからない』いきもの。

それをわかりたくなくて、感じたくなくて、自分が本当に何を求めているものなのかを分かりたくなくて、表面に浮かび上がって見えている関係性に笑ったり怒ったり怖がってみるんだと思う。

今は、自分がなにを求めて望んでいるのかはわからないけど、何を恐れて嫌がっているのかは分かるようになってきたから、進歩。

 

ずっと、主治医の先生に対する転移に困ってる。

前の先生のところでは、父親転移がものすごく強力で、先生は完璧なお父さんを通り越して神様みたいなところまで理想化されてしまっていたから、今度はそうならないようにしたいですって予め宣言しておいたのに、この始末。

“お父さん的”になってくださっていた先生は、わたしの一番怯えていた時期を守って安心させて、指針を示そうとしていてくださったんだって思ってる。うちの本当のお父さんと全く同じようなことを言ってる…と思って苦手意識もつこともあった。

わたしの父は、事故が起きた当時、友人を亡くして泣き続けるわたしに向かって『テレビが見れないからうるさい黙れ!そんなことくらいで泣くようなやつは幼稚園以下だ!』って言っちゃうような人で、言われたその瞬間に世界がひんやり遠のいて、ヒッって声が出なくなったのを覚えてる。涙が引っ込むという表現も、あれは表現上のことだけじゃなくて、きっと本当に涙くんがうにょんって目の中に引っ込むんだって思うくらい、ピタッと全部が止まった。

それからあと、なぜかはわからないけれど無視され続け、朝顔を合わせて「おはよう」って言ってるのに目も合わなければ何も言わない、スーッと通り過ぎるたびに自分が透明人間になっていく感じを毎日感じていた。

 

そのせいかどうか分からないんだけど、わたしが好きになる男の人は、大抵この『ほどよい無視』がある人って決まってる。

すごくこっちを見てくれるような人は、なんとなく勝手ながら、自分の中で格下みたいなポジションに入れられてしまう。わたしのことがあまりにも眼中にない雰囲気の人、というのは先ず好きにもならないんだけど、優しくしてくれてなおかつ軽く無視されそうな感じってなると、だいたいドキドキして尊敬して憧れの対象になってしまう。

 

父親転移が激しかった先生は、この感じが完璧って思えてました。

多分わたしは、ずっと寂しくて理想のお父さん探しをしてるんだなって薄々思ってた。

だから、先生っていうお父さん役が依存させてくださるおかげで、パニックを起こして混乱だらけの世界でも、とりあえず病院に行くことで秩序を取り戻して自分がどこへ向かって努力すればいいのか、ていうのが見えていたんだと思う。

逆にいうと、そんなふうにずぶずぶに依存して幻想の中から世界を見ている期間が長かったから、今のわたしは自分が何を望むのかよくわからない。

ベンゾジアゼピンで頭をぼんやりさせていたおかげで、いろんな恐怖刺激をぼんやりさせ、現実的な恐怖に負けることなく生き延びてるんだと思うけど、それと同じように先生と母っていう“両親”にどっぷり浸かることで、現実に対して自立して向き合うっていう、自分の頭で考えて対処するっていうことを回避してしまっていた。

 

ベンゾジアゼピンを飲むことをやめたら、今まで眠りながら生きていたのか!って思うくらいに頭がはっきり動くようになった。やりたくてもできなかった(ぼんやりして眠くて面倒で、すぐ疲れてウヤムヤにしてた)勉強もできるようになって、ライティングをしても頭がどんどん動くことに最初の頃は驚いてた。

…今は、今度は過覚醒とフラッシュバックに悩まされてしまうけど。

 

カウンセリングを受けるようになって、だんだんと先生への転移と依存と家族っていう依存の中でコントロールされて弱いものになっていた自分の自我が、“わたしもわたしのことを自分で決められる”と思えるようになってきて、事件後から10年近くもお世話になった主治医のもとを卒業した。

より正確に言うなら、そのお父さん先生の言われた言葉が理不尽だって感じたわたしが、わたしの感情と感覚を信じて病院を変える決意をした。それまでのわたしだったら、先生がそんなことを言っても仕方ない、なぜなら確かに自分が悪いから…と思ってしまっていただろう。罪悪感は絆になるから、その人とのつながりを失うことの怖さから、自分が悪いっていう信念をいくらでも作ってしまう。そうして支配関係から抜け出せなくなる。

先生はわたしに対して悪意ある支配をしていたわけではまったくない。けど、お医者さんと患者っていう立場に、父親と娘っていう影絵が重なって、それが“わたしのお父さん”と“わたし”っていう具体的な状況を先生のもとで再現してしまっていた。先生はほんとうに優しい熱心な先生だったから、きっとわたしを助けようとするあまりに、わたしの罪悪感につられてお父さん役を熱心に演じてしまってわたしを縛り付けてしまったんだと思う。

それを考えてみると、父のわたしに対する感情が過去にどんなものだったのかっていうのも、なんとなくだけど分かる気がして…

 

そして、今。今度は今の先生に対して微妙な恋愛感情のようなものを感じる転移をしてしまっている。恋愛というか、性欲。

本当に本当に困ってしまった。

最初のうちは、優しそうだなぁ、ちょっと見た目(ヘアスタイル)が独特で面白い雰囲気の先生だなぁ、くらいにしか感じてなかった。ほんとに。

お父さん先生のところでの苦い体験を話して、そのひとつまえに起きていた大事な出来事についても話して、そういうことを踏まえて転移で困るのが嫌なんですって伝えて慎重にいこうとしてた。

でもきっと、その時のわたしは転移っていうのを中途半端な理解でしか分かってなかったんだなぁって恥ずかしく思う。

たぶん、専門的な精神科のお医者さんのことは全然知らないけど、きっと転移っていうのはどの人間関係の中でも普通に起きてることで、とくに精神科治療では(あるかないか分からないような漠然とした)“こころ”そのものを扱う場だから、その転移っていう現象そのものが大事なんだって。(...ていうのを、かき集めた論文やら本やらのいくつかで読んで考えました。)お父さん先生のもとで起きていた父親転移っていうのは、わたしに必要なものだったから先生が意図して起こしてくださっていたものでもあったんだなぁって、今あらためてここに書いて整理しながらも思う。

そして。

あれよあれよといううちに、警戒しつつもその主治医には、今度は“嫌い!”っていう悪い感情が出てきました。最初は、だんだんと優しそうだなぁ…から、本当に優しい先生でよかったなぁ…っていう思いに変わり、ちょっと心開いてきたかな?ってタイミングで、今度はリストカットを起こして混乱し、怯えきって状況を報告している最中の先生の様子がわたしにとっては発端。

そして、その先生の言葉や様子から生まれた“きらい!”っていう感情についても先生に打ち明けて、話し合うことができた安堵感のあとに出てきた感情が、今のもやもや…

なんか、少女漫画である“あんたなんか大っきらい!”ってやったあとに、“でも〇〇なところもあるよね”とかっていいところを自分で発見し始めて、ちょっとした意見の相違ですっごい大喧嘩したあとに誤解ってわかって、そのときに見せられた本当の姿、みたいなのがあったあとで“本当は好きだったんだ!”みたいな流れが浮かんで自分の中で失笑気味…

境界性パーソナリティ障害・外傷育ちにつきものの、理想化とこき下ろしをまんまと起こしてた。たぶん、その自傷も嫌いって思いが止まらないことも、さらにそれを打ち明けたことも含めて先生に対する試し行動なんだろうと思うし、もっといったら最初っから恋愛っぽい転移をしてたんだなぁと思う。

そして、そのことを考え始めると必ず浮かんでくるのが、小学生の頃に関係のあった学校の先生。そして、兄。

どちらも性体験の記憶でわたしにとって色んな意味で深く影響している人たち。

先生に対する言葉で言い表しにくい感情が起きてからというもの、というか、今の治療が始まってからというもの、もともとイヤイヤやってた在宅ワークが本当に苦痛になってきた。吐き気でなにもできなくなったり、記憶が飛んだり。前からあった症状だったけど、その仕事の中で嫌だと思うたびに先生の優しいにっこり顔がチラついてしまう。

 

性に関するトラウマが多い中で、ずっとそれに振り回されながら自分のことを気持ち悪い女って言ってきたけど、きっとその言葉のなかに色んな感情を隠してるんだって気づいてる。わたしは気持ち悪い女なんですって言いながら、それでも許してくださいとか思ってるのかなって。それこそが、気持ち悪いなって堂々巡りする。

そして、先生のこと嫌いですっていうのも好きですってもし言うのだとしても、その好きとか嫌いは純粋な意味での“好き”だったり“嫌い”だったりでは、どうせないんだ。

先生の前で裸にならなきゃいけない気がする…ていう、実はこんな感覚すら芽生えてしまって消えてくれなくて、キモチワルくて怖い。

怖いんだけど、その怖いのをどうにかしようと思ったら、想像の中で先生に悪い人になってもらうしかなくて…。そして本当に悪い人なのかもと思ってしまう。

きっとこれは、性暴力被害を受けたっていう感覚を繰り返してるんだとおもう。

何度も何度も再現して、実際に現実のうえでも再現するし、頭の中の想像の上でも男性っていうものとの関係の中で再現を繰り返して、自分がおかしくないっていう証明を求めてるんだと思う。

男=わたしを傷つける存在、わたしのわたしである秘密を暴く存在

わたし=女の体をもつ存在、男の欲望する器を所有するもの

これを踏まえて

先生=憧れる存在、立派な人、すごいって思う人、お父さん、兄

わたし=比較しての劣等感、汚れた存在である劣等感、女の体の所有者

ていう感覚があるから、先生っていう怖くて魅力的な存在のまえにいる自分の惨めさを、女の体を所有するものとして、先生を女の体を欲望する男っていうところに落としてしまうことでどうにかしようとしてる…

そして、信じたいのに、いつか裏切られるっていう怖さを秘めた男性っていう存在だから、だったらいっそのことわたしが女という秘密を自分から暴かれてやることで、このジレンマから救われたいって思ってるのかな、なんて思う。

 

これまで、性的にいろいろとこんがらがって、男性と自分が望んでもいないのにセックスをしたり、みたいなことが繰り返されていた。望んでもいないっていうのは複雑なところで、解離してるワタシは望んでたっぽいんだけど、そういうときのわたしの記憶はだいたい二重三重に複数あって、どれが本当の気持ちだったのか分からない。(しかも今のわたしは過去の自分がそういうことをしてたっていうことが自分のこととして信じられない。切り離されている。)

そういう出来事は、反復強迫とかトラウマの再演って言われているようで、きっと今回の先生に対して起きている転移の現象がいろんな男性の前で起きてたんじゃないかなって思う。今の、先生に対しての感情よりももっと汚い感情…

ずっとこうやって、自分の体をおとりにしながら男っていうものを眺めて、罰して正当化きたんだと思う。罰しているのが男っていう対象なのか、それとも自分自身なのか、はたまた別のものなのか分からないけど。

好き・嫌いの底にあるのは、怒りとか恨みとか恐れで、瞬間的に怖いと感じる気持ちを覆い隠すようにして“好きor嫌い”があらわれ、そこに執着してしまう。なぜなら、その覆いを外して見るものは求められない惨めな自分で、欲しかったものをもらえなかった存在だから。繰り返し繰り返し、欲望されてたはずなんだっていう仮の恐怖を思い出して確認して、『ほらね、求められてた』って傷つけられることで確認してるんだと思う。

 

 

だからわたしは自分の女っていうのがすごく気持ち悪くて怖いし、男っていうのがすごく分からなくて怖い。きっと寂しいんだと思う。

 

…こうやって勉強しちゃってること自体、まんまと先生っていう存在に憧れて同一化しようとしちゃってるってことなんだと書きながら気づいて…

PTSDとは?という話

PTSDです、解離性障害です、境界性パーソナリティ障害です、と自己紹介するものの…よくよく考えてみると、それってなぁに?と思われる方がほとんどなのですね。

 

まずはじめに、PTSDについて書いてみます。

 

PTSDとは、Posttraumatic Stress Disorderの頭文字をとった名称で、心的外傷後ストレス障害という疾患名です。

もともとは、第一次世界大戦で負傷した兵士を診察した医師たちが、屈強な彼らがもはや安全なはずの病院で悪夢にうなされたり、幻聴や幻覚に怯えたりする様子から、戦争神経症という病名として臨床研究が始まったそうです。彼らは戦争で人を殺したり殺されたりという極限状態にさらされ、危険から遠く離れても、今なお間近に危険な状態にあると感じてしまう激しい後遺症に苦しみます。自分の国に帰国したあとも、アルコール依存や無力感、うつや不眠など、様々な症状に長年苦しめられることになったそうです。

そしてベトナム戦争後、性暴力被害にあった女性と戦争へ行って帰還した兵士の症状とがよく似ていることが気づかれ始め、なんやかんやでPTSDという名称として診断基準が整えられたのだとか。

 

Wikipediaによる解説はこちら↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7%E5%BE%8C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E9%9A%9C%E5%AE%B3

 

わたしは自分の病気について、長い間『全般性不安障害って言われてるけど違うと思う…』と思い続けてネットで検索をかけ続けていたので、PTSDという言葉に出会うより前に『レイプトラウマ症候群』という病名に行き当たっていました。

ただ、ひとくちにPTSDといっても、そのトラウマ体験によって症状のあらわれ方は本当に様々なようです。レイプトラウマ症候群について書かれたサイトには、なかでも『反復強迫』についての記述や繰り返し思い出してしまうこと、自分を汚い・汚れているという信念を持ち続けてしまうことで様々な行動の変化が起こることなどが書かれていたのが印象的でした。

全般性不安障害といわれても、その病気に関する説明のなかには何度も何度も繰り返し思い出して頭がいっぱいになってしまうことや、急に頭の中に映像や音があらわれて一気にかき混ぜられ、過呼吸になって倒れてしまう…というような症状は書かれていなかったから。レイプトラウマ症候群やPTSDという言葉に行き着いて、わたしの病気はきっとコレなんだ…という思いを強めていっていたのですが、その当時の主治医にはなかなか伝えることができませんでした。

 

 

PTSDでは、大きく分けて、回避と解離という2つの症状によって悩まされます。

まず、回避というのは『怖いことを避ける』ということです。

自分が体験した怖い出来事について、思い出して語ることそのものも回避されてしまうことがあり、わたしはこの症状によって医師に自分の状態をはっきりと伝えることができなくなっていました。自分がなぜ不安なのか、なにが怖いと思っているのか、ということも、回避と解離が起きていることによって、その不安の大元となる記憶につながる感情を否認してしまっているからです。また、長い間、わたしの怖さに関する理解のない環境にいたことによって、『このくらい大したことない』『これは人前で語るようなことではない』というストップが何重にもかけられてしまっていました。これも、本当は大きなはずの問題を過小評価することで、大きな怖さに直面することを回避して自分を守ることができる、という防衛なのですが、これを続けることによって、自分の感じていることは大したことない=自分は大した存在ではない、という考え方ができあがってしまうため、自尊心が大きく削がれていくことになっていました。

 

そして、回避の症状そのものは、話すことができない・思い出すことができない…というだけでなく、様々な行動にあらわれます。 

事故や事件を思い出させる要素のあるものは、わたしも意識的にも無意識的にもかなり避けていたように思います。といっても、覚えていなくて…

思い出せるのは、中学生の頃、事故を思い出させる建物や柱が目に入るとなんとなく胸の奥がもやもやして避ける、という行動を繰り返していました。前回の記事にも書いたように、赤いものを避けるというのと同じような行動です。

また、『死』を連想させるものや死をテーマにした物語などに熱中していくのですが、死を軽率に扱っていると感じるやいなや、普通の人が見てもおかしいと思うくらいに怒っていたんだと思います。今は目で見える行動には表しませんが、この感覚はまだ残っていて、頭の奥が熱くなって耐え難く、瞬間的に心の中でものすごく怒っています。人と話すのにも、これがもとで言い争いになってしまったり、あきらかな攻撃はしないものの、そういう人のことは完全にシャットアウトしてしまっています。

こういった回避症状が強くなっていってしまうと、だんだんと怖い対象が広がってしまい、怖いものが増えていってしまいます。回避すればするほど、その怖いという信念は『やっぱり怖いんだ』という確信に変わって強化されていき、どんどん怯えることになってしまう…。

わたしは『夜眠るのが怖い』という気持ちをいまだに乗り越えることができていません。そのことが、事故や事件の記憶といろいろな意味で密接につながっているのを分かっています。夜眠ろうとする行為がトラウマ記憶とつながっているんだと分かるまでは、なんで眠ろうとしないのか、自分で自分がわかりませんでした。眠ることによって悪夢やフラッシュバックに悩まされていたから怖いのだ、というのもあると思いますが、それがなくなっても眠ろうとしない自分を責めて、意識すればするほど眠るのが怖くなり、連鎖的に怖さが連なっていき、最終的に夜になることに怯えるようになっていた時期もありました。

 

次に、解離というのは『怖いことを切り離す』ということです。

解離とは心理学の用語で、本来ひとまとまりの塊である心という器があるとすれば、その一つから離れた、という意味です。『わたし』という一つの箱に、もうひとつの架空の箱を余計に作り上げ、そちらの方に中身を分離して入れてしまう、というような…。

『こわい』という塊を『わたし』という箱一つで抱えきれなくなったので、架空の『わたし』を作ってしまって『こわい』を放り込んでしまう。そうすると『いつものわたし』は『こわい』を感じることなく過ごすことができてしまいます。

解離は、心理学で言う防衛機制(自分の心を守る仕組み)のひとつで、本来は健康な人にも備わっている機能なのですが、この機能をめいいっぱい使って現実の怖さを切り離してしまわなければいけないくらい、ものすごく怖くて受け入れがたい苦痛を受けていた、ということなのです。

PTSDでは、その怖い出来事が起きた瞬間に、この解離の機制を使っています。わたしは事故や事件が起きた当時の記憶を、思い出そうとしてもすんなり思い出すことができません。無理に思い出して語ってしまうと、体がぞわぞわして虫が這うように気持ち悪くなり、体の周りに電気の膜がはられているような、ビリビリするような緊張に包まれます。そして、その感覚も無視して話し続けると、左手が固くなって硬直したまま動かなくなったり、口の周りがしびれてきたり、心臓がドキドキ苦しくなってしまいます。

もっとストレスが強くかかる状況だと、人格モードが切り替わってしまったり、自分が今どこにいるのか分からなくなったり、自分が誰かもわからなくなります。

このような症状が起きるのは、事件当時、あまりの恐怖に自分を切り離し、もうひとつの箱の方にその記憶をまるごと押し込んでしまったからだと思います。そうやって、その当時のわたしは自分の『怖い』を感じて震えたり泣いたりするよりも、目の前の現実に対して『強い(はずの)わたし』で向かっていくように求められてしまっていたんだと思います。

そうやって切り離し、違うわたしに怖さをまかせて表面上は強く元気に生き延びてはきたものの、常にその元気なわたしを保っておくことも膨大なエネルギーが必要なので、いつもものすごく疲れていたようです。もうこれは、慢性疲労症候群なんじゃないかと疑い続け、先生にも相談し続け、いつもすぐに横になりたくなることの自己嫌悪でいっぱいになってきました。夜は眠れないのにずっと疲れていて、眠くて眠くて仕方がなく、いつも胸が張り詰めたように息苦しかったように思います。

 

この、2つの拒絶の方法によって、強く強く心を凍らせて『こわい』を封じ込めてしまっても、前回の記事でお話したような『トリガー』によって、『こわい』記憶はまるごと蘇ってしまいます。それがフラッシュバックです。

何度も何度も事件について思い出し、反芻して頭の中でぐるぐる考え続けてしまうのは、このフラッシュバックが思考という形で起きていたんだろうなと思っています。他の人が聞くとあきらかにおかしいと思うようなことで罪悪感に苛まれ、わたしがここに生きていることが全部悪いんだ、というような結論に陥ってしまい、うつ状態になったりパニックを起こして自傷行為に走っていました。

わたしの場合、今はそれが主治医に対する陽性転移という形でも起きており、どうしたものかなと困ってます。最近では、自分の今までの対人関係でのトラブルはトラウマの混じった転移感情によるものなんじゃないかと思えてきていて…

 

そのことは、また今度。

PTSDのこと

PTSDのことについて、少し書いてみます。

わたしのPTSDは原因が複数あって、トラウマエピソード周辺の記憶がごちゃごちゃに絡まり合いながら、主要な事件の周辺の細かい事件ごとトラウマ化してしまっています。PTSDって、そういうものらしいんですけどね。

 

大きく影響を及ぼしているのが中1の、今ぐらいの季節に遭遇した人身事故。

そして20歳の、またちょうど今くらいの季節に遭遇した性犯罪被害です。

なので毎年、だいたいお盆から冬(長いと春まで)くらいになるまで、鬱っぽい感じになってしまいます。アニバーサリー反応といって、トラウマ事件が起きた時期に強く症状が出てしまう現象です。事件そのものは夏・秋の単回的な出来事でも、その事件をとりまく周りの人の反応とか、その事件について悩み苦しんだ期間そのものがトラウマになっているんだろうな、と思っています。

また、中1の事件のさらに前、小6の夏~冬にかけても学校の先生から性被害にあっていて、なぜだか20歳の犯罪事件とのコンプレックスが絡まり、さらに中1の事件とも絡む…みたいなことに。(こういうコンプレックスの絡まり合いについては、河合隼雄先生の『コンプレックス』を読んだときに、なるほどそうか!みたいな気づきがあったのですが…。また今度書こうっと。)

 

話を戻して。

わたしはずっと自分の被害や事故について病院で話せなかったので、3年前までは原因不明の全般性不安障害として、いろんなことに過剰反応して不安がる人…という診断がつけられていました。未治療のトラウマ事件が多くある状態で長引いてしまうと、『怖い対象』が広がってしまうようです。

たとえば、『事故』というトラウマ事件から受けたトラウマ記憶について説明してみます。

その事件そのものについての説明は省くのですが、その出来事が起きたとき、わたしは救急車を見ていました。世界が止まったように、静止画の白黒の映像としてしか思い出せないのですが、人の叫び声や表情、自分の心臓の音を今でも思い出します。

その結果、それからしばらくして、赤いものが怖くなりました。

その場に流れた血そのものだけでなく、『血』を構成する要素である『赤』を恐れるようになりました。怖いという感覚はなく、ただなんとなく赤いものを見ると身構えたり、ぼんやり考え込んで別の世界にいっちゃってる…という感じなのですが。

また、テレビから流れてくる事故の映像や、ドラマで人がパニックになっている映像を見ることができなくなりました。(でも、このフラッシュバックという症状が現れ始めたのは事故から3,4年経ってからです)

それから、その当時聞こえていた祖母の声も、わたしの恐れの対象になりました。

父のイライラした姿や怒った雰囲気も、母の怒鳴り声や金切り声も。

また、そのときの風の感じや光の様子、匂いとか、五感で感じる言葉や視覚以外の記憶もはっきりと脳に刻み込まれたようで、この記憶がアニバーサリー反応が起こる原因になっているようです。

救急車の音は今でも怖くて、トラウマなんだと気がつくまでは、漠然とそわそわしていました。救急車に関してのトラウマは20歳のときの事件とも3年前の出来事とも重なっているので、今ここに書くとややこしくなるんだけど…。

また、事故のあと、中学校に登校してからの出来事もトラウマになっていて、その当時の教諭や友達から浴びていた言葉や感じ取った雰囲気など、知らず識らずのうちに溜め込んでしまっています。

全般性不安障害という診断名がつけられていた頃のわたしは、とにかく何もかもが怖い世界の中にいた、という感覚です。3年前以前の記憶は、おそらく解離していてあまりよく思い出せません。たぶん、イメージで例えるならば、凍りついたトラウマ記憶の入った箱を抱えながら(いつ溶け出して暴れるかわからない)、この世界は怖いよ!っていう色眼鏡をかけて、どこにトラウマを解かす爆弾が落ちてるかわからない世界を右往左往してたんだと思います。

トラウマが癒えていない未治療の状態というのは、見えている世界が何もかも怖いもの(警戒すべきもの)という色で染められていて、治療を受けてトラウマが整理されていくと、少しずつ見える世界の中に怖いものと怖くないものの区別がついてくるのだそうです。

これは、恐怖条件づけという脳の反応が解除されていく様子を表している言葉で、わたしの治療にあたってくださった先生が教えて下さいました。

 

救急車、赤、血、怒鳴り声…etc. これらはトリガーと呼ばれ、トラウマ記憶を引っ張り出す鍵です。トラウマ事件が冷凍してある冷凍庫の鍵っていうか、そんな感じ。

PTSDやトラウマ持ちの人は、このトリガーがきっかけで急に怒り出したり、パニックを起こしたり、そこまで反応が劇的でなくても胸がザワザワして人知れず苦しくなったり…というようなことが起こります。それは、冷凍庫に保管されているトラウマ事件っていう怖い出来事が、そのトリガーをきっかけに一気に解凍されてよみがえってしまうんじゃ…と恐れるからもあるし、そのトリガーそのものを脳が『危険』だと誤って記憶してしまっているからです。

今、わたしは病院で先生に見てもらうためのノートに自分が思い出したことや整理しきれなくてぐちゃぐちゃになった叫びのようなものを書いているのですが、そのなかで自分が反応しているトリガーに気づくと、それも記録していくようにしています。

自分が恐れているものを『見える化』して、文字にして一旦書き出してしまうと、次回からそのトリガーに触れるときは、どんな風に注意して触れたらいいかな?と考えることができるからです。

例えば、救急車の音がもとで怖くなることがわかっているなら、その音から遠ざかったり、その音がする間に別の楽しいことを思い出す努力ができます。別の軽い刺激を与える、というのも有効で、手遊びをしたり鼻歌を歌ってみることもあるし、『これは怖いよね。怖いの来たね。』とあえて口に出してつぶやいてみる、というのも効果があるように感じます。今ここは安全なのだ、と自分に教えるためのおまじないです。

 

今日書けるのは、とりあえずここまで。

PTSDについて、解離性障害について、境界性パーソナリティ障害について、自分を治すために勉強しているので、その整理も兼ねて書きたいことがたくさん…。

でも、いざ自分の記憶と絡めて書こうとすると、まだ記憶のブロックや解離症状が解けていないので難しいです。頭がぞわぞわして、なんかぐにゃっとする…(気持ち悪いってこと)

思い出しそうで、思い出したら壊れそうで、叫んでしまいそうで、気持ち悪くて。

心の奥底に、わー!っと怒りたいものがマグマのように貯まってるようにも見えるし、うずくまって泣いて怯えてる何かが、やめてーーーー!って大声で制止してるようにも思えます。

そして、このわーーー!となる塊を一人で抱えているのが辛くなってきたので、吐き出すっていう。いつまで続けられるのかわからないけど、とりあえず、また明日。

今日から始めてみます

はてなブログ、今まではずっと読んでばかりの人でしたが、思い切って書く人にもなってみようかと。

前からずっと書いてみたかったんだけど、なかなか続けられるか自信がなくて、尻込みばっかりしてたんです。

とりあえず今日から。少しずつ書くことから始めてみます。

 

まずは自己紹介。

わたしは現在、ADHDPTSD解離性障害に、多分プラス、境界性パーソナリティ障害をうっすら(?)くらいに患っている、精神障害者です。

病院に通い始めて、だいたい15年くらい経過しています。

人格障害に関しては、たぶん境界性パーソナリティ障害だろうと言われている段階で、お医者さんによっては複雑性PTSDといわれたり、愛着障害の混乱型っていわれたりするそうです。主治医にそんなふうに説明を受けました。

3年前、勤めていた職場を病状悪化で退職し(パワハラにより、当時は身体表現性障害という診断名でした)現在は実家に住まわせてもらいながら、在宅ワークをしつつの引きこもり生活です。

お金が貯まったら一人暮らしをして自立する…というのを目標にしています。

 

このブログでは、わたしの病気がどんなふうに始まったか、何がきっかけだったのか、今はどんなふうな治療を受けていて、どんなふうに改善されているのか…みたいなことを、おそらく時系列はバラバラになるんだと思うのですが、書いていこうと思います。

去年、WordPressでも闘病ブログみたいなの、書いてたんですけどね。

また気が向いたらそっちも再開する…のかなぁ、わかりません。

 

というのも、わたしの頭はトラウマエピソードがよみがえるごとに人格交代のようなものを繰り返しているようで、人格モードが切り替わると興味の方向や記憶がすぽーんと抜けてしまうんです。だいたいうつ期間を経て、どうして自分が落ち込んでるのか分からないまま、もともとやってたことを忘れていきます。

そこへ更に、ADHDの飽きっぽさや積み重なったコンプレックスも加わって、今自分が継続してやっていることをとつぜん放り投げてしまう癖があるのです。

このブログもいつまで続くか…

キチンと物事を順序立てて整理して取り組める人になりたかったです…。

今のわたしの頭のカオス状態も原因で、この引きこもり状態は継続しているようです。

自分がなんで今こうなっているのか、しょっちゅう忘れて死にたくなってます。

いつも、自分はもう病気治ってるよ!って思ってるので…じゃあ、なんで今こんなふうに家から出られないの?なんにもできないの?っていうのが分からなくなって、もう怠け者のニートは死ななきゃいけない!っていう無限ループに…。

在宅ワークも自信がないので、部屋にいる・家から出ない・引きこもりの自分=何もしてないなら即・死。という頭に切り替わってしまうんです。

このことについても、改めてまとめて書けたら書きます。

 

こんなまとまらない文章ですが、とりあえず自分のために、そしてもしかしたら同じような状況にある人に、もしかして役に立つ記事にしていくことが、もしもできるのであれば…。ということで、書いていきます。