PTSDとは?という話

PTSDです、解離性障害です、境界性パーソナリティ障害です、と自己紹介するものの…よくよく考えてみると、それってなぁに?と思われる方がほとんどなのですね。

 

まずはじめに、PTSDについて書いてみます。

 

PTSDとは、Posttraumatic Stress Disorderの頭文字をとった名称で、心的外傷後ストレス障害という疾患名です。

もともとは、第一次世界大戦で負傷した兵士を診察した医師たちが、屈強な彼らがもはや安全なはずの病院で悪夢にうなされたり、幻聴や幻覚に怯えたりする様子から、戦争神経症という病名として臨床研究が始まったそうです。彼らは戦争で人を殺したり殺されたりという極限状態にさらされ、危険から遠く離れても、今なお間近に危険な状態にあると感じてしまう激しい後遺症に苦しみます。自分の国に帰国したあとも、アルコール依存や無力感、うつや不眠など、様々な症状に長年苦しめられることになったそうです。

そしてベトナム戦争後、性暴力被害にあった女性と戦争へ行って帰還した兵士の症状とがよく似ていることが気づかれ始め、なんやかんやでPTSDという名称として診断基準が整えられたのだとか。

 

Wikipediaによる解説はこちら↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7%E5%BE%8C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E9%9A%9C%E5%AE%B3

 

わたしは自分の病気について、長い間『全般性不安障害って言われてるけど違うと思う…』と思い続けてネットで検索をかけ続けていたので、PTSDという言葉に出会うより前に『レイプトラウマ症候群』という病名に行き当たっていました。

ただ、ひとくちにPTSDといっても、そのトラウマ体験によって症状のあらわれ方は本当に様々なようです。レイプトラウマ症候群について書かれたサイトには、なかでも『反復強迫』についての記述や繰り返し思い出してしまうこと、自分を汚い・汚れているという信念を持ち続けてしまうことで様々な行動の変化が起こることなどが書かれていたのが印象的でした。

全般性不安障害といわれても、その病気に関する説明のなかには何度も何度も繰り返し思い出して頭がいっぱいになってしまうことや、急に頭の中に映像や音があらわれて一気にかき混ぜられ、過呼吸になって倒れてしまう…というような症状は書かれていなかったから。レイプトラウマ症候群やPTSDという言葉に行き着いて、わたしの病気はきっとコレなんだ…という思いを強めていっていたのですが、その当時の主治医にはなかなか伝えることができませんでした。

 

 

PTSDでは、大きく分けて、回避と解離という2つの症状によって悩まされます。

まず、回避というのは『怖いことを避ける』ということです。

自分が体験した怖い出来事について、思い出して語ることそのものも回避されてしまうことがあり、わたしはこの症状によって医師に自分の状態をはっきりと伝えることができなくなっていました。自分がなぜ不安なのか、なにが怖いと思っているのか、ということも、回避と解離が起きていることによって、その不安の大元となる記憶につながる感情を否認してしまっているからです。また、長い間、わたしの怖さに関する理解のない環境にいたことによって、『このくらい大したことない』『これは人前で語るようなことではない』というストップが何重にもかけられてしまっていました。これも、本当は大きなはずの問題を過小評価することで、大きな怖さに直面することを回避して自分を守ることができる、という防衛なのですが、これを続けることによって、自分の感じていることは大したことない=自分は大した存在ではない、という考え方ができあがってしまうため、自尊心が大きく削がれていくことになっていました。

 

そして、回避の症状そのものは、話すことができない・思い出すことができない…というだけでなく、様々な行動にあらわれます。 

事故や事件を思い出させる要素のあるものは、わたしも意識的にも無意識的にもかなり避けていたように思います。といっても、覚えていなくて…

思い出せるのは、中学生の頃、事故を思い出させる建物や柱が目に入るとなんとなく胸の奥がもやもやして避ける、という行動を繰り返していました。前回の記事にも書いたように、赤いものを避けるというのと同じような行動です。

また、『死』を連想させるものや死をテーマにした物語などに熱中していくのですが、死を軽率に扱っていると感じるやいなや、普通の人が見てもおかしいと思うくらいに怒っていたんだと思います。今は目で見える行動には表しませんが、この感覚はまだ残っていて、頭の奥が熱くなって耐え難く、瞬間的に心の中でものすごく怒っています。人と話すのにも、これがもとで言い争いになってしまったり、あきらかな攻撃はしないものの、そういう人のことは完全にシャットアウトしてしまっています。

こういった回避症状が強くなっていってしまうと、だんだんと怖い対象が広がってしまい、怖いものが増えていってしまいます。回避すればするほど、その怖いという信念は『やっぱり怖いんだ』という確信に変わって強化されていき、どんどん怯えることになってしまう…。

わたしは『夜眠るのが怖い』という気持ちをいまだに乗り越えることができていません。そのことが、事故や事件の記憶といろいろな意味で密接につながっているのを分かっています。夜眠ろうとする行為がトラウマ記憶とつながっているんだと分かるまでは、なんで眠ろうとしないのか、自分で自分がわかりませんでした。眠ることによって悪夢やフラッシュバックに悩まされていたから怖いのだ、というのもあると思いますが、それがなくなっても眠ろうとしない自分を責めて、意識すればするほど眠るのが怖くなり、連鎖的に怖さが連なっていき、最終的に夜になることに怯えるようになっていた時期もありました。

 

次に、解離というのは『怖いことを切り離す』ということです。

解離とは心理学の用語で、本来ひとまとまりの塊である心という器があるとすれば、その一つから離れた、という意味です。『わたし』という一つの箱に、もうひとつの架空の箱を余計に作り上げ、そちらの方に中身を分離して入れてしまう、というような…。

『こわい』という塊を『わたし』という箱一つで抱えきれなくなったので、架空の『わたし』を作ってしまって『こわい』を放り込んでしまう。そうすると『いつものわたし』は『こわい』を感じることなく過ごすことができてしまいます。

解離は、心理学で言う防衛機制(自分の心を守る仕組み)のひとつで、本来は健康な人にも備わっている機能なのですが、この機能をめいいっぱい使って現実の怖さを切り離してしまわなければいけないくらい、ものすごく怖くて受け入れがたい苦痛を受けていた、ということなのです。

PTSDでは、その怖い出来事が起きた瞬間に、この解離の機制を使っています。わたしは事故や事件が起きた当時の記憶を、思い出そうとしてもすんなり思い出すことができません。無理に思い出して語ってしまうと、体がぞわぞわして虫が這うように気持ち悪くなり、体の周りに電気の膜がはられているような、ビリビリするような緊張に包まれます。そして、その感覚も無視して話し続けると、左手が固くなって硬直したまま動かなくなったり、口の周りがしびれてきたり、心臓がドキドキ苦しくなってしまいます。

もっとストレスが強くかかる状況だと、人格モードが切り替わってしまったり、自分が今どこにいるのか分からなくなったり、自分が誰かもわからなくなります。

このような症状が起きるのは、事件当時、あまりの恐怖に自分を切り離し、もうひとつの箱の方にその記憶をまるごと押し込んでしまったからだと思います。そうやって、その当時のわたしは自分の『怖い』を感じて震えたり泣いたりするよりも、目の前の現実に対して『強い(はずの)わたし』で向かっていくように求められてしまっていたんだと思います。

そうやって切り離し、違うわたしに怖さをまかせて表面上は強く元気に生き延びてはきたものの、常にその元気なわたしを保っておくことも膨大なエネルギーが必要なので、いつもものすごく疲れていたようです。もうこれは、慢性疲労症候群なんじゃないかと疑い続け、先生にも相談し続け、いつもすぐに横になりたくなることの自己嫌悪でいっぱいになってきました。夜は眠れないのにずっと疲れていて、眠くて眠くて仕方がなく、いつも胸が張り詰めたように息苦しかったように思います。

 

この、2つの拒絶の方法によって、強く強く心を凍らせて『こわい』を封じ込めてしまっても、前回の記事でお話したような『トリガー』によって、『こわい』記憶はまるごと蘇ってしまいます。それがフラッシュバックです。

何度も何度も事件について思い出し、反芻して頭の中でぐるぐる考え続けてしまうのは、このフラッシュバックが思考という形で起きていたんだろうなと思っています。他の人が聞くとあきらかにおかしいと思うようなことで罪悪感に苛まれ、わたしがここに生きていることが全部悪いんだ、というような結論に陥ってしまい、うつ状態になったりパニックを起こして自傷行為に走っていました。

わたしの場合、今はそれが主治医に対する陽性転移という形でも起きており、どうしたものかなと困ってます。最近では、自分の今までの対人関係でのトラブルはトラウマの混じった転移感情によるものなんじゃないかと思えてきていて…

 

そのことは、また今度。