PTSDのこと

PTSDのことについて、少し書いてみます。

わたしのPTSDは原因が複数あって、トラウマエピソード周辺の記憶がごちゃごちゃに絡まり合いながら、主要な事件の周辺の細かい事件ごとトラウマ化してしまっています。PTSDって、そういうものらしいんですけどね。

 

大きく影響を及ぼしているのが中1の、今ぐらいの季節に遭遇した人身事故。

そして20歳の、またちょうど今くらいの季節に遭遇した性犯罪被害です。

なので毎年、だいたいお盆から冬(長いと春まで)くらいになるまで、鬱っぽい感じになってしまいます。アニバーサリー反応といって、トラウマ事件が起きた時期に強く症状が出てしまう現象です。事件そのものは夏・秋の単回的な出来事でも、その事件をとりまく周りの人の反応とか、その事件について悩み苦しんだ期間そのものがトラウマになっているんだろうな、と思っています。

また、中1の事件のさらに前、小6の夏~冬にかけても学校の先生から性被害にあっていて、なぜだか20歳の犯罪事件とのコンプレックスが絡まり、さらに中1の事件とも絡む…みたいなことに。(こういうコンプレックスの絡まり合いについては、河合隼雄先生の『コンプレックス』を読んだときに、なるほどそうか!みたいな気づきがあったのですが…。また今度書こうっと。)

 

話を戻して。

わたしはずっと自分の被害や事故について病院で話せなかったので、3年前までは原因不明の全般性不安障害として、いろんなことに過剰反応して不安がる人…という診断がつけられていました。未治療のトラウマ事件が多くある状態で長引いてしまうと、『怖い対象』が広がってしまうようです。

たとえば、『事故』というトラウマ事件から受けたトラウマ記憶について説明してみます。

その事件そのものについての説明は省くのですが、その出来事が起きたとき、わたしは救急車を見ていました。世界が止まったように、静止画の白黒の映像としてしか思い出せないのですが、人の叫び声や表情、自分の心臓の音を今でも思い出します。

その結果、それからしばらくして、赤いものが怖くなりました。

その場に流れた血そのものだけでなく、『血』を構成する要素である『赤』を恐れるようになりました。怖いという感覚はなく、ただなんとなく赤いものを見ると身構えたり、ぼんやり考え込んで別の世界にいっちゃってる…という感じなのですが。

また、テレビから流れてくる事故の映像や、ドラマで人がパニックになっている映像を見ることができなくなりました。(でも、このフラッシュバックという症状が現れ始めたのは事故から3,4年経ってからです)

それから、その当時聞こえていた祖母の声も、わたしの恐れの対象になりました。

父のイライラした姿や怒った雰囲気も、母の怒鳴り声や金切り声も。

また、そのときの風の感じや光の様子、匂いとか、五感で感じる言葉や視覚以外の記憶もはっきりと脳に刻み込まれたようで、この記憶がアニバーサリー反応が起こる原因になっているようです。

救急車の音は今でも怖くて、トラウマなんだと気がつくまでは、漠然とそわそわしていました。救急車に関してのトラウマは20歳のときの事件とも3年前の出来事とも重なっているので、今ここに書くとややこしくなるんだけど…。

また、事故のあと、中学校に登校してからの出来事もトラウマになっていて、その当時の教諭や友達から浴びていた言葉や感じ取った雰囲気など、知らず識らずのうちに溜め込んでしまっています。

全般性不安障害という診断名がつけられていた頃のわたしは、とにかく何もかもが怖い世界の中にいた、という感覚です。3年前以前の記憶は、おそらく解離していてあまりよく思い出せません。たぶん、イメージで例えるならば、凍りついたトラウマ記憶の入った箱を抱えながら(いつ溶け出して暴れるかわからない)、この世界は怖いよ!っていう色眼鏡をかけて、どこにトラウマを解かす爆弾が落ちてるかわからない世界を右往左往してたんだと思います。

トラウマが癒えていない未治療の状態というのは、見えている世界が何もかも怖いもの(警戒すべきもの)という色で染められていて、治療を受けてトラウマが整理されていくと、少しずつ見える世界の中に怖いものと怖くないものの区別がついてくるのだそうです。

これは、恐怖条件づけという脳の反応が解除されていく様子を表している言葉で、わたしの治療にあたってくださった先生が教えて下さいました。

 

救急車、赤、血、怒鳴り声…etc. これらはトリガーと呼ばれ、トラウマ記憶を引っ張り出す鍵です。トラウマ事件が冷凍してある冷凍庫の鍵っていうか、そんな感じ。

PTSDやトラウマ持ちの人は、このトリガーがきっかけで急に怒り出したり、パニックを起こしたり、そこまで反応が劇的でなくても胸がザワザワして人知れず苦しくなったり…というようなことが起こります。それは、冷凍庫に保管されているトラウマ事件っていう怖い出来事が、そのトリガーをきっかけに一気に解凍されてよみがえってしまうんじゃ…と恐れるからもあるし、そのトリガーそのものを脳が『危険』だと誤って記憶してしまっているからです。

今、わたしは病院で先生に見てもらうためのノートに自分が思い出したことや整理しきれなくてぐちゃぐちゃになった叫びのようなものを書いているのですが、そのなかで自分が反応しているトリガーに気づくと、それも記録していくようにしています。

自分が恐れているものを『見える化』して、文字にして一旦書き出してしまうと、次回からそのトリガーに触れるときは、どんな風に注意して触れたらいいかな?と考えることができるからです。

例えば、救急車の音がもとで怖くなることがわかっているなら、その音から遠ざかったり、その音がする間に別の楽しいことを思い出す努力ができます。別の軽い刺激を与える、というのも有効で、手遊びをしたり鼻歌を歌ってみることもあるし、『これは怖いよね。怖いの来たね。』とあえて口に出してつぶやいてみる、というのも効果があるように感じます。今ここは安全なのだ、と自分に教えるためのおまじないです。

 

今日書けるのは、とりあえずここまで。

PTSDについて、解離性障害について、境界性パーソナリティ障害について、自分を治すために勉強しているので、その整理も兼ねて書きたいことがたくさん…。

でも、いざ自分の記憶と絡めて書こうとすると、まだ記憶のブロックや解離症状が解けていないので難しいです。頭がぞわぞわして、なんかぐにゃっとする…(気持ち悪いってこと)

思い出しそうで、思い出したら壊れそうで、叫んでしまいそうで、気持ち悪くて。

心の奥底に、わー!っと怒りたいものがマグマのように貯まってるようにも見えるし、うずくまって泣いて怯えてる何かが、やめてーーーー!って大声で制止してるようにも思えます。

そして、このわーーー!となる塊を一人で抱えているのが辛くなってきたので、吐き出すっていう。いつまで続けられるのかわからないけど、とりあえず、また明日。