解離性障害の人格モードについての話

今日は昨日飲んだセロクエルの影響なのか、ずっとずっと眠くて、本当に眠くて、どうやっても起きられない1日でした。もう1日終わって(日付も変わって)夜になって今やっと頭が回ってきた感じ…。

セロクエル飲まないと過覚醒がひどくて静まらないし、飲んだら飲んだで今度は鎮静しすぎて頭も体も動かないしっていう…

 

ブログを書こうと決めてみてやっぱり気づいたのですが、わたしの障害は人格のモードを一定に保っておけないことにあります。

このブログの文章を書いている時でさえ、考えていること・覚えていることが人格ごとに違っているらしく、どうしてもある特定の記憶にアクセスするたびに自分自身が変わってしまわないと書くことができない現象があることに気づきました。人と話すときも、自分の(自分の中の怯えてる部分の)〝話したくないなぁ、この話嫌だなぁ〟っていう気持ちに気づかずに特定の記憶エピソードについて話していると、だんだん体や口が痺れてくる感覚や、心臓のドキドキする感覚を感じ始め、それでも話し続けた結果、赤ちゃんモード(急に怯えたり、甘えてイヤイヤって始める)が出てきてしまう…というようなことがたまに起こります。

わたし(冷静に現実の自分をコントロールしている主人格モード)が自分のウィークポイントについて冷静に分かっていて、アクセスしたくない部分をカバーして思い出している分にはいいのですが(例:あの事故は酷いものだったようだ…あんまり覚えてないけどね。みたいな。)、自分について分かってもらおうとして何もかも話してしまう時があって、知らず知らずのうちに奥にある自分にとって嫌な部分にまで触れてしまうことがあるようです。

また、冷静なわたしとして普段から意識の前面に出されているわたしは思い出せないことや忘れていることが多く、別モードのわたしを持ってくることで思い出す記憶がいくつもあります。そのモードの切り替わるごとの記憶を保てず完全にそれぞれが一人の人のようにして存在しているのが解離性同一性障害の人だとすると、わたしはそれぞれの記憶を部分的に共有しながら、ほとんどのそれを自分として認識しています。ただ、そのモードの切り替わりの元であるトラウマ感情に触れている時、今の自分が自分だと分からなくなったり、どこにいるのか何をしているのか分からない解離が起こります。

 

 

以前は、この人格モードというのは昔の記憶を持ち抱えたまま成長した、自分の中にいる第2第3の自分、みたいな理解の仕方をしていたのですが、最近はどうも違うなと思っています。あくまでも、その時のその状況によって作り出されたモードが存在しているだけで、それぞれが記憶のどこかの時点で“人格さん”として誕生し固定されて独自の成長を遂げた、みたいなことではないんじゃないかと…。わたしの場合は、です。

わたしの状態について説明してくださる主治医の先生のお話や、信頼しているセラピストさんのお話によると、解離性障害という病気の状態と解離性同一性障害というのは、いわゆるグレイスケールのように、帯のように、スペクトラム上に通じているのだそうです。中でも人格モードというのは健康な人も普通に持っているもので、問題なのはそのモードの使い分け・切り替えを自由に行うことができるかどうか、今の自分がどういう場面にいて、どの場面向けの自分としているのか(なに向けのどれモードなのか)というのを自分で分かっていて使い分けできるかどうか、という点にあるそうです。

その中でもわたしは、解離性同一性障害に近く寄っているほうの解離性障害、という感じな理解のされ方をしているそうです。

 

ユング心理学の言葉でいうと、人はみんなペルソナという仮面をいくつも持ち、自分のいる場面や状況にあわせて使い分けて生きています。

たとえば、ある女性は家族を持っていて、その家族のメンバーの中で『お母さん』という役割人格を持っています。また、その女性の生まれ育った家族の中では『娘』であり、さらに彼女の個人的な趣味であるタロット占いをやっていると、彼女は厳かな気分になって『占い師』の顔や口調を使い、そのムードの中で声も自然に低くなります。しかし、彼女の職場で一緒に働く人たちは、彼女の『占い師』モードの様子を知らないし、『娘』モードの様子も知る機会がほとんどないでしょう。それは、彼女がその職場において『会社員のわたし』としてのペルソナを被って生きているからです。

わたしの中にも、こういう社会的な自分としてのペルソナはあるし、これを使い分けることは普通にできています。でも、心の中で葛藤が起きたとき、その一つのまとまりとしての『今のわたし』が揺らいでしまい、『わたしを守るためのわたし』が勝手に前面に出てきてしまうことで、ある特定の場所で一定のわたしを保っていられない、という障害が起きてしまいます。

例えば、わたしは病院に通っていて、先生の前では『患者のみるくさん』として存在します。このみるくさんは、先生を“信頼できる優しいお医者さん”として見て、自分の生活してきた状況について客観的な視点も交えて主観的に話します。先生の言われていることについて、わりと素直にうなずいたり、考えたりしながら対話は流れていき、その中でトラウマを刺激するような言葉に触れてしまうとします。すると、そのトラウマについて頭が反射的に考え始めると、体がぞわぞわして解離が起き始め、それも突っ切って記憶を語り続けると、ある地点で限界を迎え、『赤ちゃんモード』のわたしが出現してしまうのです。

赤ちゃんのような気分になってしまった自分は、ただ怯えた様子をあらわし、もう話したくない…のような、自分の中で嫌だと思っている気持ちを伝えようとします。

『患者のみるくさん』のままで「この話はしたくないんです、この話をするのは苦しいんです」と伝えられたらいいのですが、『患者のみるくさんモード』のわたしは“これは話さないといけない”と強く信じています。でも、心の奥底に“嫌だなぁ…思い出すなぁ、怖いなぁ”という感覚がたしかに存在するため(患者のみるくさんはこれに気づいていない)、嫌だと思っている部分であるわたしを『赤ちゃん』という形にして表現してしまうんだと思います。実際、赤ちゃんでないと言えないこと・アクセスできない記憶があるように感じているんだと考えています。

それが、わたしがわたしを解離させているということで、退行したわたしの部分が感じていることと、表向きの顔を担っているわたしの部分が分かれてしまっています。

他の解離性同一性障害についての知識はないのですが、わたしに限って理解していることでいえば、わたしは条件反射的に自分のモードを無意識的にも意識的にも切り替えて生きています。おそらくですが、『赤ちゃんモード』の人格モードはわたしが無意識のうちにお医者さん・セラピスト(とくに男性セラピスト)に向かい合うために作ってしまった人格モードなんだと思います。そのモードが意識の前面に出てきてくれることで、わたしはわたしとして怖いと思う状況の中でも嫌だと思うことに触れることができ、伝えることができるからです。『患者のみるくさん』が自分の気持ちをもっと許容して、世界に対しても信頼して、“「嫌だ」と思ってもいいし伝えてもいいんだ”と分かることができたら、この条件反射も減っていくのかなぁと思うのですが…。もしくは、トラウマ記憶に触れるときの触れ方をもう少し理解できるようになって、嫌な気持ちを抱えながらも怖くないトラウマへの触り方、みたいなのができるようになれば、『赤ちゃん』を使わなくてもよくなるかな、と思っています。

そしておそらくなのですが、この『赤ちゃんモード』に切り替わるとき、『赤ちゃん』のわたしが見ている“先生”は、先生としての性質は持ちながらも、おそらく“別の存在”として「わたし」に認識されています。もはや“信頼できる優しいお医者さん”ではなくなっているということです。これは対象関係論という理論を勉強しているときに、フェアバーンという人の対象関係論と愛着トラウマの理論について書かれた論文を読んでいたときに気がつきました。わたしの見ている世界の見え方は、特定の条件ごとにトラウマ記憶の影響で変わってしまう癖をもっているから、ぱっと見てただひとつの変わりのない世界だとしても、わたしという人間の器を通した目が見る世界は、コロコロとわたしの思いを通して変化してしまうのです。

だから、わたしが解離を起こしてしまうのはいつも突然で、トラウマ記憶にふれるたびに、今いる世界の現実に過去の感情が呼び起こされて、今自分がどこに属していて誰としているのか分からない、というようなことが起きるのだと思います。怖いときの怖い先生に向けて赤ちゃんモードが出てきてしまうのは、ある意味ではその状況になんとか適応した結果、ということなのかなぁ…。

『赤ちゃんモード』は『患者のみるくさん』や他の人格モードのわたしにとって、人前に出して恥ずかしいと感じるわたしであり、しかし、おそらく赤ちゃんのわたし自身は別のいろいろな思惑をしっかり分かっていて出てきてるので、この前も赤ちゃんのわたしとして他の人格モードから自分が怒られていて怖い、というようなことを先生に伝えていました。

だいたい切り替わってしまうと、切り替わる直前の出来事や切り替わっている最中の出来事を忘れてしまっているんですが、赤ちゃんの中での出来事は割としっかり覚えていたりします(これも赤ちゃんが赤ちゃんたる所以だと思ってる…だから自分=気持ち悪い)。

 

わたしの人格モードのバラバラについての問題も、先生のお話では

「そりゃ、無理にがっちゃんってさせたら怖いよ。適応的な人格が育っていって、役割として必要のない部分、ということになったら、深く眠っていく…という形になるのを目指してもいいかもね」

という感じの言葉だったのですが、その時はその時なりの理解しかできていなかったけれど、今はこの言葉がよく分かるように思います。怖い記憶に対する反応の仕方が自分の中で様々である、というのも、わたしが分割されている原因で、わたしとしてわたしを理解している理解の仕方(されかた)が様々、みたいなことでもあって。それら、相容れない自分を全部許したり我慢したりしてガッチャンってくっつけちゃうのは、やっぱり乱暴なことで。誰だって見たくない自分があるのは当然です。

忘れたい記憶は、ただ静かに「悲しい」や「悔しい」っていう哀悼の気持ちを残して、過去として眠らせてしまうのが、やさしい方法かなぁと思います。それが自然だと思う。過去は、もう無いのだし。今はまだ、その過去のお墓が遠いお墓になってなくて、目の前にあって離れられないっていう状態なんだと思う。そして、その悲しさを一人では抱えきれなくて、誰彼構わず泣き縋っていたのが少し前のわたし。最近は、泣いてもいい場所と泣かなくてもいい場所の区別が付きかけてきている、という感じなんだと思います。

触れ方が分からなくて怖いものになっている過去のお墓について、何度も話して受け止めてもらって、色んな角度からの見え方が分かってきたら、遠く離れていけるんだと思う。今はまだ悲しくて、そのお墓の前を動けなくなってる。

解離はきっと、今にも溢れ出しそうな怖さや悲しさを、誰にも頼っちゃいけない世界観の中で必死に抑え込んでいた結果、誰にも頼れないから自分を弱く弱くして見せるしか自分を守る方法がなくなって、でも頼り方が分からなくて、仕方なく自分の大事な機能を停止させたように見せかけて助けてって言ってる、そういうイメージです。

頼る人を何人も見つけることができているわたしは、多分、もうすぐ近くまで出口が見えている…と、信じています。

 

最近も、親しい友人と電話している最中に人格モードの切り替わりが激しく起こり、自分でもその全体の会話自体がぼんやりした霧の中のような感覚で覚えています。

8月と9月は苦手な月、ていうのがやっぱりあるのかな。

一昨日と昨日と、ずっとフラッシュバックの激しい中にいて、こんなブログを書き始めてしまったからだという自覚もあるのですが、むしろ勝手に思い出すのが辛いから過覚醒に乗っかって書いてる、という部分もあり…。

セロクエルで眠り続けていたのも、そういうところからの逃避としての意味があるのかなという自己理解をしています。

 

人格モードについての考察、もっと書きたかったけど…とりあえず、ここまで。